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This Category : エンタメ

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2012.04.23 *Mon*

漫画実写化の成否⑥・・・「トドメの君とど・君に届け」

最初に、言い訳を。
原作を読んでおりません。
娘が全巻借りてきて「これ読んで」とせがんできましたが、だめでした。
いえ、決して、批判的だったわけではありませんよ。
少女漫画の王道。
揃えるべきものはすべて揃えて、きめ細かく展開させていく。
名作に違いありません。
ただやはり、経験値として、「もういい」世界なんですよ。
このテの、思春期の感受性に見事にリンクしているような世界は、ワタクシすでに、17歳の頃から異次元でしたから。

ここまでしっかり成熟・発酵(腐敗ではなく)のオトシゴロになりますと、一巻を読んだ時点でご辞退申し上げたい気持ちになったわけです。

にもかかわらず。・・・そうなんです。映画は、劇場まで足を運んで観ちゃったわけです。
理由はもう、ご理解いただけますね。

ヒロインが、多部未華子だったから。

ほんと、「デカワンコ」に次いで困った事態でした。
こんな気恥ずかしい映画、観にいけないから。

自分ひとりなら、DVDが出るのを待っていたと思います。
ただ「多部ちゃんファン仲間」にひとり、独身30代男がおりまして。
こいつは、多部ちゃんの映画なら封切り公開初日に観にいくというルーティンを、生真面目に守り続けております。
で、ワタクシが誘われました。
他に誰も付き合ってくれない!
didiさんほどの多部ちゃんファンなら一緒に行ってくれるでしょ、ってな感じで迫られまして。
仕方ない、行きましたよ。ティーンエイジャーの集団に混じって、観てきましたよ、初日に。
ただやはり、気恥ずかしさが勝っちゃいましたから、娘も連れていきました。
高校生の娘に付き合ってます、って感じで。
実は、ワタクシたちが、付き合ってもらってたんですけどね。

で、観た映画の感想・・・。

なんだ、監督も同じじゃん、・・・ということでした。

熊澤直人監督さん、あなたもこの、少女漫画ばりばりの思春期オーラに満ちた作品に恐れを抱きましたね。
自分が踏み込んでいいかどうか、あまりにも純な登場人物を、自分みたいなオジサンがいじっていいかどうか、ちょっと悩みましたね。

その戸惑いが、映画の画面にありありと出ていました。

この映画の制作陣は、決して原作をバカにしていません。
「花より男子」をはじめとする、少女漫画実写化チームのドラマ部門の大人たちに比べて、熊澤直人さんたちは、かなりきちんと、この純な世界を受け入れ、これを映画化するに当たり自分たち大人のセンスで昇華しようと努力しましたよね。
原作ファンだけでなく、大人にもメッセージを残せるように作品を大事に扱い、努力をしていたと思います。
その誠意は、まずキャスティングに現れていました。

その象徴が、千鶴役の蓮佛美沙子とビン役のARATA。
ミーハーな青春映画に仕上げようと思ったら、もっと軽いネームバリューを使うでしょう。
でも、爽子の友人役として最も重要な千鶴に、実力派の蓮佛美沙子をもってきた。
これは、青春映画のレベルを3段階ほど上乗せするいい仕事です。
蓮佛美沙子は多分、今までやったことのない役だと思いますよ。
現実離れするほどのはじけ方。
ちょっと無理やりな感じもありましたが、それでも等身大のエネルギーで、思春期の真面目さ、その反面の軽さ、思いのタケを精一杯を出し切っていたと思います。
これからが本当に楽しみな女優です。

ARATAは、監督の免罪符かな。
ビンという役は、下手をすると、この作品が一番浮き足立ってコメディ的にウカウカとなる位置です。
ここに、いまどきのお笑い芸人を使ったりせずに、クセモノ本格派役者を配することで、軽くなる部分に重石を乗せた恰好になりました。

監督は本気です。
この、思春期少女漫画的世界満々な作品を、大人の枠の中で昇華させようとしています。
成功したかどうかは、観た人の主観にまかせますけどね。

で、内容です。

ワタクシはちゃんと、感動できました。
不器用な爽子は、痛いほど普遍的な存在です。
「好きか?」と聞かれて、「好きじゃない」と応える。
「好きよりもっと、もっと・・・」と、言葉で表現できない気持ちを伝えようとする。
それが誤解を招く、不器用な人。
その彼女が、ちゃんと他人と気持ちをつなげようと努力する姿は、誰にも覚えのあることですから。

三浦春馬くん、いい作品に参加できましたね。
彼は、インタビューの中で応えています。
これまでの出演作品(ブラッディマンディとか)では、せっぱ詰まった状況ばかりで演じていたから、ただ振り向くだけでも、「鋭すぎ、早すぎ」って言われたらしいです。
ごく普通の日常。ごく普通の青春と恋愛。それをごく普通に演じることが、難しかったと。

でも、多部ちゃん演じる爽子を、きっちり愛してくれてありがとう。
あまりにも現実感のない「風早」は、難しかったと思います。
それでも、爽子に対する気持ちだけは、ちゃんと伝わってきました。

おかげで、多部ちゃんの素直な思春期の涙を見ることができました。

ほんと、普通であること、素直であることが、今時はどんだけ難しいことか。

この映画の世界に入ることができるということは、自分が素直になるということ。

そういうことだと、改めて思います。
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2012.04.09 *Mon*

漫画実写化の成否⑤・・・「デカワンコ・漫画より漫画的なる実写の結末」

漫画「デカワンコ」を読み終わった後の感想は、「これって少年漫画?」ってことでした。

いえ、ワタクシどもが少女漫画に夢中になっていた頃と違って、いまさら少年漫画との違いなんぞ、問題にはならないとわかっています。
昨今では少年雑誌にだって、LOVEに溢れたお目目ばっちり作品はありますし。
少女雑誌には、男前のヒロインが目白押し、男の子が主人公のものも多いわけで。
少女向け少年向けという区別なく、ただの「漫画」として読んでいける文化が育っていることは、十分理解できます。

にもかかわらず、「デカワンコ」の読後に強く思ったのは「少年漫画だぁ」という感慨でした。
だってこの作者、ヒロインを捨石にして男たちの群像劇を力いっぱい描いていますから。
これまでの少女雑誌の漫画家たちは、どれだけ少年というものにスポットを当てていても、ヒロインは大事にされ、主役の座に鎮座ましましていました。
でも、「デカワンコ」では、ゴスロリというアイテムも、女刑事という立場も、一子というキャラそのものも、刑事チームの男たちを観察描写するためのツールにすぎない。
一子という観察者は、ドラマの起点にはなりますが軸から外れることが多々あるわけです。
象徴的なのは、警察内における柔道大会の描写。
ガッシリ型、汗だく体育会系のムサイ男たち満載。
武道の細かい技の表現で数ページを割く熱心さ。
その間ヒロイン一子は、チアガールとして登場はしていますが、完全にストーリー展開の軸からはずれています。・・・軸から外れているどころか、試合解説の役目を果たしながら、見事に「脇を固めて」いるわけです。
くどいようですが、繰り返します。ヒロイン一子が、「脇を固めて」いるわけです。

かつて、水島大先生が「ドカベン」という野球漫画にて、ホームランの大きさを表現するため、空白の見開き2ページに点をひとつ書いてみせるという荒技を決めました。
それまでずっと、勝負ごとの機微を理屈で書き綴っていた漫画が、一瞬にして沈黙する。
そして、見開きの空間に描かれたのは、点がひとつだけ。
すべての勝敗を決める一打で、HRのボールが空に吸い込まれていく図です。
今では珍しくもなんともないけれど、当時の漫画界では、この「目からウロコ」の表現方法に激震が走ったという伝説があります。
当時、字画と字数が多くて、観念と感情が過多だった少女漫画を読んでいた人たちには、想定外の表現の機微。漫画ワールドがその枠を広げていく様は、少女趣味に固まっていた女たちの漫画世界にも影響したものと思われます。
「デカワンコ」という作品は、この、水島大先生のDNAをプンプン匂わせています。
少女漫画的な、観念を言葉で表現するような世界ではなく、無言のまま「これ」という瞬間を真空に閉じ込める。
この作者は、そういう作風が好きなんじゃないかなあ。

ヒロイン一子にゴスロリという外観で武装させていますが、これって、少女漫画としての体裁を保つための方便ですよね。表紙の一子なんて、隙なく「少女漫画」風ですけど、漫画の内容とのギャップに唖然としますよ。
キリ、柳というイケメン刑事キャラも、少女雑誌で人気を保つための傀儡設定ですよね。本当は、もっと泥臭い、突っ込んだ男くささを書きたいのでしょう。
彼らをエサとして撒いて、少女漫画として安定した人気を得て、ようやく描きたかった警察官同士の柔道の試合という、少女漫画にありえない汗臭いシチュエーションを描く。
購読層における「禁忌」というか、決して受けそうにない状況を、なんとか突破したのだと思えてなりません。

あ、誤解しないでくださいね。
ワタクシ、梢子先生のそんな作風に、かなり肯定的です。
「デカワンコ」において、一子は雑に扱われている!・・・とは思っていますが、そうは思うんですけど、それが嫌じゃない。
ヒロイン扱いではなく、脇固め、道化回しに徹しているのにどうして好感がもてるのか。

理由は、はっきりしています。
一子の視点が作者そのものだからです。
作者がヒロインを粗雑に扱っているのではなく、作者が自分自身に頓着していない結果が、花森一子という現象なのだとわかるからです。
目立たないけどぶれてない。物語の起伏から離れていても存在だけは明確。
誰よりもクールで、客観的で、すべてのキャラに確固たる愛がある。

梢子先生。あなどれん・・・。
「ごくせん」もこの人なのね。
青春学園ものは苦手中の苦手なので、ドラマもスルーしちゃっていたのですが、これはちょっと見てみないといけません。
で、当然、どっかで原作もテにいれないと。

でね。これだけ独自の世界を貫いちゃった漫画「デカワンコ」という原作が、ドラマでは、どんな展開をみせたか。
この展開が、原作者やファンにとってどれほどの苦い水であったか。
そのことを考えちゃうんですよ。

だって、ドラマでは、柳さんとキリ、キャラ崩壊していますから。
これって、男目線の「デカワンコ」なんでしょうね。
イケメンキャラを設定するつもりがない。
だって、購買層である少女たちにウケを狙う必要がないから。
ドラマにおける刑事チームのキャラは、既存の刑事ドラマに出てきそうなアテウマを描いておいて、それで役者がうまくパロディにすればOKという仕切りなんですよ。

つまり、梢子先生が、少女漫画として面目を保つために努力したキャラ設定が、ドラマでは必要なしってことなんですよね。
なんかずるいです。
しかも、柳さんやキリにつられて読んでいる原作ファンにとっては、ドラマの二人の設定はおそらく、許しがたいものだとも思えるに違いない。
ここんとこ、どうなんでしょう。

ドラマは原作を愚弄したのか、否か。

ドラマの制作陣はおそらく、原作者の意図を正しく読んでます。
どこぞのイケメンドラマと違って、原作を斜め読み状態で、ただウケのいいように創り上げたわけではありません。
この「デカワンコ」を、「太陽にほえろ」のパロディにしようとした時点で、結構、原作者目線ではツボをついていたと思います。
ただし、繰り返しますが、原作ファンにとっては・・・・・・・・・。

もうひとつ、ドラマ化に当たって大きな問題が生じました。
それは、一子役である多部未華子の面白さが、目立つほどに秀逸だったこと。
これ多分、制作陣にとっても誤算だったと思いますよ。
これまでの多部ちゃんの演技をみていたら、ゴスロリ着たって、どんなに妙な設定だって、目立たないようにクールに客観的に存在できると計算していたと思います。
そう、原作の一子ちゃんのように。
でも、多部ちゃんは、突き抜けてしまいました。
脇役を固めるレベルではなく、主役としてまさしく、異才を放ってしまいました。
だって、伊東四朗らベテランから吹越満・沢村一樹ら中堅の役者たちまでもが、多部ちゃんのために、自分の芸を「引き」にして道をあけているんだもの。
こういうスラップスティックコメディの現場では、もう、多部ちゃん、やりきるしかないわけですよ。で、やりきっちゃえるんですよ、この子は。

つまり、原作漫画が一子という存在を抑えて刑事たちをクローズアップさせてきたのに、多部ちゃんのコメディエンヌとしての才能が一子というキャラをよりデフォルメし、原作以上のパワーで表現されてしまった。
必要以上の存在感。期待値を超えすぎた圧倒的なおかしさ。

そんな多部ちゃん演じる一子をみたら、制作陣だって、「太陽にほえろ」のパロディを担う男性陣を放っておいて、多部ちゃんに焦点を当ててしまいたくなりますよ。
一子としての多部ちゃんを、もっともっと動かしてみたくなる。
これ、どうすんの?・・・ってハナシですよ。

だから、多部ちゃんファンとして、原作ファンに謝りたい。
梢子先生が、必死になって少女雑誌に掲載できるような体裁を繕い、イケメンキャラまで配置して刑事ものを描いたのに、すべての努力を無にしてしまったドラマを許してください。原因はすべて、多部ちゃんの才能にあります。
でもね、ワタクシ、梢子先生自身はドラマを楽しんだような気がしているんですよ。
だって、そういう器の大きさ、原作からびしびし感じているところですから。

・・・って、だめ?ドラマファンのたわごとですかね?

追記1 ひとつだけ。ドラマ「デカワンコ」について、許せないことがあります。
警察犬ミハイル・フォン・アルト・オッペンハイマーを実写にするなら、あの配役はないぞ!金髪碧眼のあの役者、「のだめカンタービレ」のドラマ(と映画)に出ていたライバル指揮者だよね。あんな人の良さそうな白人じゃだめだって!
「デカワンコ」において、最もクールでシャープなキャラなんだから!
黒髪で、長身で、いかにも「できる男」を体現しているような2枚目をもってこなきゃ。
あれだけは本当にガッカリ!やっぱり、「太陽にほえろ」をオマージュしちゃう世代の制作者たちには、この辺のディテールの重要さがわからないんだなあ。ほんと、残念。

追記2 ワタクシ、「デカワンコ」のドラマを褒め上げました。だから、これから、観たいと思う方がいるかもしれません。でもね、連続ドラマとしての回を終え、スペシャルドラマと称してタレ流した2時間の無駄な放送については、決して観ないでください。
最低最悪のスペシャルでございました。
おっさんたち、多部ちゃんに頼りすぎ。
きちんとした脚本も用意できていなくて、役者たちも大人の事情で全部そろえることができないからって、だからって、すべてを多部ちゃんつくる一子のキャラに依存しているような気がしてなりませんでした。
反省してください。

以上、愛しすぎてワケわからんことになっている、「デカワンコ」論でした。






2012.03.18 *Sun*

漫画実写化の成否④・・・「そして、デカワンコ」

カミングアウトします!
ワタクシ、デカワンコファンです!

・・・ご存知ですよね?「デカワンコ」。

異常に嗅覚の発達した、ゴスロリの女刑事、花森一子のハナシです。

不安になって内容を確認しちゃうのは、これまで、誰ともこの作品でおしゃべりしたことがないから。

「花より男子」は、ごく身近に強烈ファンがいていつもおしゃべりの中で話題にでます。
「のだめカンタービレ」は、原作本を全巻2セット揃えていて、職場でも皆で回し読みしたから、これまた話題にも上ります。
でも、「デカワンコ」については、本当に誰ともしゃべってないんですよね。

なぜかというと・・・。

「デカワンコ観てる?」と最初に誰かに質問したとき、「げっ!あんなドラマ観てるんですか?なんか、設定からしてトコトン馬鹿みたいじゃないですか。面白いんですか?」と切り返されて、言葉を失ってしまったことがあって。
それ以来、なんとなく話題にするのがはばかられ・・・。

でも、ドラマの影響で原作まで読んじゃった今となっては、やはり、普及啓蒙活動に着手しようと思います!

「デカワンコ」、おっもしろいですよぉぉぉぉぉ!

かくいうワタクシも、番組宣伝でみた「ぶっとんだ設定」のために、観るのやめたかったんです。
まず、ヒロインの設定からしてありえない。ゴスロリの刑事だぁ?
刑事ものを長年観てきたワタクシとしては、ボロなハズレ作品で時間をつぶしたくない。
このテのものは、はずれる可能性が大。・・・っていうか、大はずれの結果しかイメージできない。


それでも、観てしまったんですよね。
しぶしぶ、第一回だけでも観ておこうって、テレビつけちゃったんです。
なぜなら、主演が、多部未華子だったから。
ワタクシにとっての、若手女優期待値ナンバーワン。
出演作は、全部観ているわけで、これも観ないわけにはいかない・・・
(なんでこんな役受けるかなあって、ほんとに困ってたんです)

で、最初の5分で、もう画面に釘付け状態・・・。
多部ちゃん、変顔全開。ゴスロリ似合いすぎ。
服装はフリフリヒラヒラ、髪もクリクリオトメなのに、表情が刑事・・・って!
このギャップが、多部ちゃんの本質にあまりにぴったりすぎます。

ここでちょっと多部ちゃん語りを・・・。

彼女はいい意味で、存在感が「変」。
清楚で可憐にみせといて、実はかなり、人を食ってるところあり。
ブレない芯と他者を受け止める鷹揚さがウリで、一見控えめキャラに見えるのだけど、実は自分のオーラに周囲を巻き込んで振り回している。
幼い少女のようでいて、老獪な計算があるようにもみえる。
まあ、表面上の見た目と演技の存在感に、いつも背反するもの、小さなギャップを抱えている人なわけです。
彼女の中には、八千草薫と樹木希林が同時に存在している・・・とでもいいましょうか。
(意味不明?)

で、「デカワンコ」というドラマでは、この、「不思議に変」という多部ちゃんの存在感が遺憾なく発揮されてクリーンヒット。
多部ちゃんのコメディエンヌとしての才能がもう、きらっ、きらっ、と輝いています。

ドラマ冒頭、最初の1分間、クルクルと表情を変えるゴスロリ多部ちゃんに釘付けの一方、拳銃にキラキラのストラップつけちゃうヒロイン「一子」の行動にのけぞっていると、いきなり月夜の波止場。
犯人追跡となり、そこで、なんと、伝説の刑事ドラマ「太陽にほえろ」の主題曲が、都会的にアレンジされて華麗に流れてきちゃう・・・。これでもう、ノックアウト。
このドラマ、最終回まで視聴することに決定。

音楽のアレンジは、最初から最後まで、すべてかっこよかったです。
特に、くどいようですが、「太陽にほえろ」の主題曲が見事。最初は原曲のマンマ始まるんですけど、それがどんどん長調に転調して、明るく軽い曲調になり、最後には、ダバダバスキャットではじけちゃう。(レンタルでサントラをゲット!ヘビロテ状態)

この曲にのって、次々に登場する警視庁捜査一課13係の面々をみて、ああ、と思いました。
このドラマ、「太陽にほえろ」のパロディなんですよ。
コワモテが次々に、ゴリさん、チャンコさん、ガラさんっていう仇名で呼び合う感じ。
彼らの紹介が、ナレーションではなく一子ちゃんのナレーション風ひとりごと説明っていうのがものすごく間抜けで、観てるとき、家族みんな声あげて笑っちゃいました。
紹介される面々も、ぱっと見はまともな刑事なんだけど、ちょっとずつキャラが崩れて、一子同様、どんどん間抜けになっていく。

ようするに、映像や音楽は研ぎ澄まされていてオシャレ。で、登場人物はみんな間抜け。これがこのドラマなんだと、最初の5分でわかっちゃう。
このドラマを観る気構え・姿勢のようなものがここでできちゃう。
見事な疾走感で、その世界に巻き込まれちゃう。
ドラマの内容を吟味するような場合じゃない。
これはもう、徹底的におバカを楽しんじゃってくださいね・・・っていう、制作側の明快な姿勢。
シットコムの感覚ですね。

キャスト陣の漫画キャラも見事。層が厚い。
沢村一樹と吹越満が両脇を固めて若手を守り、田口トモロオや大倉孝二といったコメディセンス絶妙なコマを自由に動かす。背後に、伊藤四郎やら佐野史郎やらと重鎮を配してコメディとしての枠組みを強固にする。

そしてなにより、多部ちゃんの一子!これはもう、ナイスとしかいいようがない。
冒頭部で、「女を完全に捨ててる・・・」と思いましたが、なんのなんの「女」どころか、すでに「人間を捨てて」ました。登場する警察犬ミハイル・フォン・アルト・オッペンハイマーと同化していましたから。
ここまで奇抜なキャラながら、周囲との対話をちゃんと成り立たせている多部ちゃんのバランス感覚はただものじゃありません。

・・・というわけで、疑心暗鬼のまま観始めたドラマでしたが、冒頭5分で即、もってかれて最後まで視聴決定。
一子ちゃんの存在は回を増すごとに輝き、周囲の刑事キャラたちは自由自在にシチュエーションで遊び、物語はどんどんくだらない内容に落ちこみながらも、そんなことが全く気にならないくらい楽しいテンションが維持されていく。
内容ゼロなのに、ここまで魅せてしまうなんて。侮れません、このドラマ。

こうなると原作が気になり始め、娘が1冊50円の古本を探してきたので、現在出ている分だけ読んでみました。

・・・驚きました。

あのドラマって、原作より漫画っぽいんですよ。
原作のほうが、ちゃんとした内容で、事件もそれなり。
キャラ設定も、「間抜け」より「かっこいい」が勝ってて、王道の刑事っぽい・・・。
これは・・・、原作とのこの差は、またまた面白いぞ・・・ってことで、語ることが増えました。

・・・というわけで、次回は、原作とドラマの比較・・・かな。
あれ?「デカワンコ」で、二回目も書いちゃう?????これは異なこと・・・。




追記・・・それにしても、拳銃にきらきらのストラップつけて、ピーポくんのシール貼ったうえに、「もっとデコリたかった」・・・ってつぶやく一子ちゃん。かわいすぎです。

追記2・・・それにしても、銃撃戦から戻ってきた部下に対し「拳銃のタマは高いんだよ。使いすぎると経理に怒られちゃうよ」って、お金の心配している捜査一課の係長。セコすぎです。

追記3・・・それにしても、絶対に笑わないキャラのチャンコさん、落語ファンだなんて反則です。おまけに、絶対笑わない分際で、しかもあのでかいコワモテで、寄席に通って最前列に陣取るなんて、舞台上の落語家さんが気の毒すぎです。

・・・ああ、デカワンコって小ネタの宝庫。
芸達者が多すぎて、上質のショートコントの寄せ集めみたいで、もっともっとつぶやきたくなります。(特に、沢村一樹と吹越満のやりとりは最高)

2012.03.06 *Tue*

漫画実写化の成否③・・・「のだめ談義」

・・・というわけで、「のだめカンタービレ」でございます。

これはダイジョウブ。ワタクシ、ちゃんとした原作ファンなので、堂々と語りましょう。
(注・ちゃんとした原作ファンとは、意図をもって何度も読み直したという定義で、よろしくお願いします)

この原作は、エンタメ作品がファンの心をつかむための3大要素が揃っています。

1.物語の軸となる専門性の高い素材がしっかり描かれている(この場合は、「音楽」)

2.インパクトあるヒロインを中心に、登場人物のキャラが立っていて明解であること

3.少女マンガ限定条件として、ヒロインの相手役たる男性が、王道の「ツンデレ」を極めていること

揃いすぎてて、文句のつけようがありません。

順番付けしておいて、3番目から語るのはなんなんですが・・・
実はワタクシ、少女マンガファンであるにもかかわらず、ツンデレ男が嫌いです。
横暴な男に対し、ヒロインがちょっとでも尽くすような、負けちゃうような場面が出てくるともうアウト。
それがどんなにいい男でも、途端にリタイアさせていただいております。
だから、ツンデレ男爆発傾向にある韓国ドラマを、最後まで観ることができない。
逆に、物語の早い段階で、ヒロインが突き抜けてくれて、ツンデレ男の俺様ぶりが気にならなくなったり、叩きのめされたりした場合は、最後まで視聴することができます。

その点では、「のだめ」の千秋くん。彼は、早い段階で合格でした。
だって、掃除と料理ができるツンデレですから。
のだめの部屋をきれいにする様をみながら、この「俺様」は許せる、と確信いたしました!(・・・ナニサマ?)
なにより、のだめに対する世話の焼き方がオリジナル。
無自覚・無意識のまま、ほとんど生理とか本能にしたがってのだめの面倒を見るように動けている。
(これは、のだめの音楽性と同じ波長。だから二人の対話場面は、畳み掛けるテンポになる)
他の物語で、こんな風に、DNAに刻み込まれたかのようにヒロインを守る相手役がいたでしょうか?
・・・千秋君・・・、素敵です。

他のキャラもいいですよねぇ。

峰・真澄ちゃんを筆頭とする初代Sオケチームは、常識世界から上手にズレて、のだめワールドの土台になってますし。
清良・菊池くん・黒木くんら海外組も、演奏家然としながら、ちゃんと、はっちゃけている。
フランク(・・・ふらんつ?)・ターニャ・ジャンらフランス陣営も、華やかながら適当に下世話だし。
なにより、年寄り連中の配置具合が絶妙。
ヴィエラセンセ、落ち専の谷岡センセ、ハリセン、峰パパ、シュトレーゼマン、オクレールさんに至るまで、みながきっちり役割分担して無駄がない。
(もっとひとりひとりについて、語りたいところですが。RUIとか、マルレオケメンバーとか、リュカとか?でも、そんなことしてると、善徳女王なみの章立てになってしまうので、涙をのんでスルーします)

そしてやはり、ヒロインのだめ。
もうね、最強。
トンマンに出会うまで、わたくしずっとテレビドラマにおける一番の男前ヒロインは、のだめだと思ってました。

・・・で、ここからのだめ語りです。

まずは、理屈抜きで存在そのものがすでに「音楽」。
千秋の世話焼きDNAと同じ波長で、無自覚・無意識・本能や生理のレベルで自然に沸き起こり存在する。
このサヴァンのような特殊性が魅力的です。
(でもまあ、この無自覚・無意識だけではピアニストとして成り立っていかない点が、ドラマのキモ。
そういう自分とどう向き合うか、音楽とどう向き合うかという話になっていくんですけどね)

次に、「変態」で生活能力ゼロという個性が、音楽的で作品に生きている!
その表情や行動が、軽やかでリズム感に富んだ楽しい調べのようでしょう。
ほんと、のだめって、本人が音楽そのものなんですよ。

さらに、強ずぎる感受性が引き出す多彩な表情。
ざっと分けても、ルンルンモード・どん底落ち込みモード・集中力過多の頑張りモード・そして大川弁によるブチギレやさぐれモードなど、面白くも切なく、切なくもあほらしいバリエーションで、物語をますますシンフォニックに盛り上げる。

・・・なぁんて、ちょっと音楽評論家佐久間さん風に語ってみましたが。

とにかく、のだめというオンナは、比類なき明るさ・淀みないボケ加減・強すぎる自我の三拍子で、作品の大黒柱として申し分なく立っております。
それが他のキャラを巻き込んで、大編成のオーケストラなみのインパクトを生み、我々を物語に引き込むわけです。

ドラマと映画の制作陣も、きっちりやってくれましたね。
玉木宏くん、最初はちょっと「老けてる千秋・・・」と危惧しましたが、なんのなんの。
美形で俺様でヘタレ。
テンションも具合良くて、いい感じでした。
パリで指揮者として成長する流れになると、実年齢と設定が合ってきた感じもしましたし・・・。

瑛太も良かったぁ。小出恵介ともども、そのまんま漫画の住人になれますね。

竹中直人も、あそこまでやってくれれば、イエスです。
映像の構成も、なにより、樹里ちゃんのヒロイン像も、すでにふっきれて「マンガ」になりきっていましたが、シュトレーゼマンのエセ外人ぶりもまた、すがすがしいほどでした。

上野樹里に関しては、別に章立てしたいほど、良かったです。
のだめで表現しなければならないことはたくさんありますが、すべてにおいて、かわいらしかった。
「可愛げ」というのは、重要ですよね。
特に、キレキレモードで音楽に集中している彼女は、顔の筋肉の痙攣から指先の緊張にいたるまで可愛くて、造形的で魅入られました。
・・・ただね。
この「のだめ」としての成功で植えつけられたイメージ、上野樹里としてはどうなんだろう。
大河ドラマ「江」の脚本家が、樹里ちゃんの扱いを間違っちゃったのも、「のだめ」ショックが原因ですよね。
でもまあ、上野樹里が、それほど「のだめ」を鮮烈に演じてしまった結果、ということなんでしょうけど。
作品としては、幸運なことなのかな。

最後に。
この実写化で、原作ファンとしての幸福を極めたのは、「音楽」でした。

物語に登場する音楽が、物語の進行にかぶって実際に聞こえてくるあの感じが、すごくよかったです。
のだめに関していえば、曲が、単なるBGMじゃない場合もあるんですよね。
リサイタルやコンサート場面での大曲はもちろんのこと、エピソードにかぶる思い出の曲、象徴の曲の場合でも、人物やストーリーより、音楽そのものが主役になるときがある。
特に、千秋の独白。予測不能なのだめに振り回されているときなんて、まさしく音楽の方が台詞で、千秋の台詞の方がBGMみたい。

実写映像が原作を上回るなんてことはない、と思ってました。
「のだめカンタービレ」を観るまで。
マンガの内容を一言一句漏らさず、すべての場面を拾い上げたとしても、無理って。
が、「のだめカンタービレ」の場合、実際に音楽が流れてきちゃうという反則技がありました。
これやっちゃうと、実写映像だって原作ワールドに並んじゃうのかもしれないなあ・・・って思います。
(いや、もちろん、演出と役者の演技があったこそ、の音楽ですけどね)

それにしても、この長い物語・・・。
連続ドラマ、スペシャルドラマ、映画の前後編という変則的な構成で、よく最後までまとめましたよね。
日本の音大時代をドラマでくくり、パリでの修行時代をスペシャルドラマでつなぎ、最後、二人の音楽事情と恋愛事情を映画の前後編でまとめるという荒業でしたが、全編、大事に創り上げている感じは、伝わってきました。

特に、「ベートーベン ピアノソナタ 悲愴」で二人が出会い、「モーツァルト 二台のピアノのためのソナタ」で、音楽的にも魂のレベルでも、ともに結びついていく場面。
原作同様、この場面を大事に扱ってくれたのは、嬉しかったです。

原作では、最終巻にこの二曲が再び登場します。
のだめを見失ってしまった千秋が、出会いと同じように、彼女の弾く「ベートーベン ピアノソナタ 悲愴」の音色で彼女を再び見つけ出す。
そして、自分の手に取り戻すために、もう一度「モーツァルト 二台のピアノのためのソナタ」の連弾を試みる、という、二人の歴史の重要な繰り返しのシークエンス。

二人の競演が終わったあと、のだめが、「これってフォーリンラブですか?」という台詞を言います。
原作第一巻・ドラマ第一話では、コミカルで奇異だったこの台詞が、原作最終巻、映画の後編ラストシーンでは、孤独や苦悩に耐えた後の、美しいひとこととなって、さらに二人を結びつける。
千秋・のだめを演じる二人の役者さんたちも、脚本を正しく「アナリーゼ」できていました。

後で気づいたんですけど、「悲愴」エピも「二台のための・・・」エピも、原作の背景は夕日ではないんですよね。
実写化の方で、最初と最後、両方とも美しい夕日の映像で統一していたから、原作の方も夕日の場面なんだと思い込んでました。
恐るべし、実映像。
原作の方を先に読んでいたのに、イメージをすり替え、塗り込められてしまっていた・・・。

でも、実写映像が原作と乖離していなかったからこそ、こういう勘違いもすんなり受け入れちゃうんですよね。

さて、のだめ談義は尽きませんね。
本当はまだまだ語りたいことはあるんだけど・・・。

最後に、実写映像に対して原作ファンが思う、「こうしてほしかった」というグチをひとつ。

実写ではスルーされましたが、体育会系熟女のピアニスト、ニナ・ルッツには、ぜひとも、登場してほしかった。配役は、ぜひとも夏木マリさんで!
シュトレーゼマン竹内直人VSニナ・ルッツ夏木マリの、漫画実写化対決。
漫画実写化における成功例のナンバー1、映画「ピンポン」の夢をもう一度・・・!
(・・・って、だれかわかってくれるかしら?)
 ちなみに、千秋くんのお父さんも実写でみたかったです。
 やさぐれた雅之さんに、役所コージなんて・・・いかがでしょう?



2012.03.03 *Sat*

漫画実写化の成否②・・・「花男談義・ヒロイン最強説」

間髪入れずにいきましょう!

日本版「花より男子」が、上出来だった!!っていう話です。
(あくまで、ワタクシの個人的な意見として)

その勝因はなにか。
ヒロイン、井上真央の大当たりってことですよ。


・・・ああ、すっきりした。これを言いたくて「花より男子」をいじってるんですから。

ずっと思ってたんですよね。
花より男子を語る人たちに対する不満。

道明寺や類については、こだわって熱く語るけど、大事なのはヒロイン
ここが話の要でしょ。

原作の漫画が成功しているのは、この「つくし」という人物造形が優れていたからだと思います。

彼女、ものすごくニュートラルなんですよね。
状況に応じてどうとでも揺れることができる。
揺れながらも、地に足がついているからそのキャラを壊さないでいられる。

だから、つくしの前では、F4が全員、自分を発揮できるわけです。

道明寺みたいに強引な純粋バカであっても、類みたいな引きこもり気味・自滅寸前のガラスの王子であっても、さらに身も心も真っ黒ながら意外にまじめで孤独な総二郎であっても、面倒見良すぎて振り回されがちなしっかり者のあきらくんであっても、みんなが皆、つくしの大きな器に受け止められてしまうわけです。

つくしほど、シンプルで、純粋で、無駄のないヒロイン像って、なかなかお目にかかれませんよ。

でね。
この、最も重要なつくしという役について、台湾版、韓国版、日本版と、各ドラマを比較してみたときに、一番当たっていたのはやはり、井上真央だったと思うわけです。

だって、バービースーとク・ヘソンは、貧しくて弱い女性としてのつくしの印象が勝ちすぎてますよ。
「陰」のイメージが強くて、つくし特有の女らしさを打破した生命力が伝わってこない。
あ、これ、女優さんの責任じゃないですよ。制作側の態度の問題です。

韓国版では、その傾向が顕著です。
(さて、ここからは韓国版のファンの怒りを買うこと必至です。不愉快な方はスルーしてください)

公式サイトを見ていただくとわかります。

キャスト紹介の順番が、まず、ク・ジュンピョ(道明寺)から始まって、F4が先に表記されています。
5番目にようやく、クム・ジャンディ・・・ク・ヘソンという紹介の仕方。
(・・・ざけんじゃねぇ・・・って思ってしまうのは私だけ?)
この制作陣の間違った認識が、ドラマにそのまま投影されます。
ようするにつくしは、いい男4人衆の引き立て役という扱いです。

なんだか、勘違いの様が目に見えるようです。
台湾版の成功をみて、「花より男子」という素材を、「いい男祭り」のように勘違いしたんでしょうね。
視聴率を上げるには、その男たちをどう見せるかが重要課題となった。
・・・で、つくしは、4人の男をよりよく見せるための道具に成り下がった。

ク・ヘソンは気の毒でしたね。
一番出番が多く、たくさんのキャラに対応しなくてはいけなくて、最も苦労の多い役柄だったと思いますが、彼女自身よりも、相手役の男性がきらめくように演出が進んだでしょうから。
彼女がどんな役者だか詳しくは知りませんが、どんだけいい男に囲まれても、決して気持ちのいい現場ではなかったと思いますよ。

いえいえ。勘違いしたのは、韓国のテレビの制作陣だけではありません。
日本の制作陣だって、相当に勘違いを重ねて、「イケパラ」だのなんだの、その後も節操なくイケメンだけ揃えて目を引こうとする駄作を作り続けています。

では、同じ勘違い現場にもかかわらず、日本版のキャスティングがうまくいったのはなぜか。

これね。映画公開時のインタビューで、小栗旬が言ってるんですよ。
「ドラマ制作当初、創る側の誰も、「花より男子」というドラマに期待してなかった。放送局側の人たちにとっては消化仕事のような感じだったんだと思う。だからこそ、つくしとF4の5人で、絶対いいドラマを創ろうって誓い合ったんだ」・・・って。
(インタビューを貼り付ける技術がなくてすみません。でも、あちこちで言ってる発言です。知ってる人はもう、知ってるよね)
・・・これだと思います。
台湾版の成功を受けて、日本でも制作することになったけど、やっぱり日本の制作陣は原作の力を信じてなくて、「たかが少女マンガ」のノリだったんでしょう。
で、台湾版とは正反対の結果。
日本の場合、若い役者たちの方が原作の力を信じたから、生きた映像をとることができた。

象徴的なのが、真央ちゃんです。

ドラマ開始当初、未成年の若さですから、どれだけ意識して役を創っていたかはわかりません。
ただね。ものすごく気になることがあって・・・。
つくし役の井上真央って、猫背なんですよ。
強者だらけのとんでもない環境に入り込んでしまった弱者として、常に身構えていなくてはいけないつくし。
その彼女の心情として、猫背はかなり正しい姿勢です。
真央ちゃんの場合、ごく自然にできている。
ひょっとして、元から猫背な子なのかなあとおもいましたけど、他の番組を観ていて、フツウにしている井上真央は、すっと伸びた背筋をしていますから、あれはつくし限定の演技なのだとわかる。
バービースーにも、ク・ヘソンにもできなかった「つくし」の存在感。
誰かに構われたとき、ビクッと身体を震わせる様も、真央ちゃんは女としての媚は一切ありません。
ただ、怯えた動物のように見えるわけです。
そして追い詰められた最後の最後、自分の力で突き抜けようとするときのパワーもまた、真央ちゃんが天下一品。

もちろん、日本版にだって不満はあります。
道明寺とつくしの身長差。これはジェリィイエンの勝ちだなあ、松潤頑張れよ、とかね。
まあ、色々な面で、帯に短し襷に長し・・・って感じで突っ込みどころはありますけれども。

それでも!
ヒロインがベスト1!という一点で、日本版が一番ぬきんでていると、ワタクシは思うわけです。

・・・ということで、ヒロイン最強説を撒き散らしてしまったわけですが、こうなるとさらに語りたくなるのは、漫画実写化の成功例として語られるもうひとりの最強ヒロイン。

のだめカンタービレののだめちゃん(上野樹里ちゃん)。

次回はこのネタでいきましょか。




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