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2012.01.08 *Sun*

勧善懲悪論を・・・ぶってみる。。。

1、まずはごあいさつ

しばらく放置していたブログに近況のようなものをアップしましたら、以前、一緒に遊んでいただいた善徳女王つながりの皆様からも、思いがけず温かい励ましをいただき、なんだか、すごく感激いたしました。

皆様、ありがとうございました。

にもかかわらず、年末年始はたまっていた仕事に追われて、コメントのお返事が遅れました。失礼いたしました。
そのお詫びがてら、ここで改めてごあいさつを。

ブログって、なんだか不思議ですね。
ここで善徳女王を語り始めたときは、皆様とのこのようなつながりなど想像もしておらず・・・。
いただいたお言葉から、ものすごく力をいただいております。
くどいようですが、本当にありがとうございました。

2、いきなりの「勧善懲悪論議」を言い訳してみる

ということで、今年最初のブログネタは・・・。
なぜか、勧善懲悪・・・なんですよ。

いえね、このところのトラブル(相続問題なんですが・・・)で、誰が正しい、誰が間違っている、という議論をさんざん聞かされまして・・・。

自分が「善」だと信じていると、対立する存在がどこまでも「悪」に見えてくる。
しかもその見え方は、連鎖反応を引き起こして周囲の人間にも負のエネルギーをもたらすわけです。
一度その考えに捉われると、物事はすべて二色に見えてしまって、細やかさや冷静さが一挙に失われていく。

でも、「善」と「悪」という二元論を一度捨ててみると、気持ちは楽になるんですよね。
物事の全体を見渡すと、実はそこには、善とか悪とかいう色はないとわかる。
ただ人が生きていて、それぞれの思いがあるだけ。
二分なんてとんでもなくて、100分にも1000分にもなる極彩色の価値観や生き方があるわけです。

・・・なんて、わかっていても、残念ながら、人の心はどうしても単純でわかりやすい二元論にすがりつこうとする。
特に、思いがけない不幸に見舞われて「なぜ私がこんな目にあっているの?」と悲嘆している人は、どんどん狭くて暗い所見に陥りやすいような気がします。

こういう人をどうやって、2分ではない世界、100分とか1000分の世界に引き出すか。

そのときふと思いついた言葉が、「突き抜ける」・・・でした。

ふさがった状況を打破するとか、全く違った見方をしてみるとか、とにかく考えることをやめて行動してみるとか、いろいろな解決方法を一挙に表現する一言。

「突き抜ける」・・・ということ。

慣れ親しんだフィクションの世界でいえば、「水戸黄門」式の勧善懲悪というふさがった世界を、どう転換させて人々の心をすっきりと解放させるか。
それができる作品はやはり、名作、秀作、佳作の類なんですよね。

現実の問題でもそれができればいいなあ。
悲嘆にくれていたり、怒りに捉われていたり、茫然自失だったりする人も、こちら側のすっきりした世界に引き出せるんじゃないかなあ・・・なんて、大仰なことを考えてしまうわけです。

3.トンマンの突き抜け方を、ちょっとマネしてみる

で、ワタクシ、改めて「善徳女王」について考えたんですよ。

あの物語は、全編、突き抜けてましたよね。

ミシルを巨悪のように見せるというフェイクを仕掛けといて、さらに、ムンノみたいなヒロイックな存在に重心を担わせておいてですよ。
もう、「勧善懲悪という予定調和を完全な形で展開させます」と、宣言したかのような冒頭部を作っておいて。
それを少しずつずらし、ことごとく裏切るという物語構成。

とりわけトンマンの突き抜け方は爽快でした。

なんたって、巨悪であるはずのミシルを知恵の源とし、彼女から学びながら新世界を構築しようというのですから。
さらに、物語的には英雄であるはずのムンノに完全否定されてなお、ムンノの目指す世界の一番近いところまでたどりつく(完全にたどりつく前に死んでしまうのもまた、この物語ならではの裏切りなんだけど)。
はたまた、「善」の立場であったはずの王族の人たちとは道を違え、「悪」であったはずのミシル軍団を最後まで抱き込むことも、ひとつの突き抜け方ですよね。

最期のあり方も、見事なずらし方でした。
あくまで「善」の道を行くユシンにバトンを渡しながら、自身は「善」とも「悪」とも関係ない・・・というか、どちらをも内包し、「愛」だけに生きたピダムと最期を共にしようとするわけですから。
(あ、異論ありですか?ではまた、それは次の機会に)

 やっぱトンマンは、私にとって最強のヒーローだなあ。

 自分に対し「負」の認識をしているものから力を得る。
 
 これね。魂のレベルが相当高くて、心身ともに柔軟でなければできない荒業ですよ。

 実はワタクシ、本気でトンマンをまねてみようと思いました。
 猛烈な誤解に身を投じて、私に対して怒りを発散させている人に対し、まずはその人の立場から何か学べないかと思ったんです。
 で、何度も話し合いの中で解決の糸口を探ろうとしました。
 ・・・でも、だめでした。あまりに頑なに気持ちを閉ざされて、つゆほども入り込めない。
 あああ、リアルトンマン、どっかにいないかな・・・って、これまた逃避?
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COMMENT

2元論と愛
 Didi様はじめまして。ブログはずっと拝見していましたが、初めてコメントさせていただきます。
善悪二元論はとても共感させていただきました。とてもわかりやすく表現していただき、ありがとうございます。
私もかねてからずっと考えていました。
人は自己防衛モードになるとネガティブ思考になります。ネガティブ思考というのは、2元論なんだと思います。
つまり、敵か味方か、がとても重要になります。これは長い歴史の中で刻まれたDNAのなせる技なのかと・・・。
それを打破できるのは、ポジティブ思考で、トンマンのいう「希望」なんだと思います。
そして、いかにポジティブを維持できるかは、どれだけ愛されて生きてきたかで決まるのでは・・と感じております。

2012/01/09(Mon) 12:36 | rin #NkOZRVVI [Edit
Re: 2元論と愛
rin様

こちらこそ、はじめまして。

> 善悪二元論はとても共感させていただきました。

・・・のお言葉、ありがとうございます!
そうなんですよ。世界が二色に見えちゃうと、人は追い詰められちゃいますよね。

ネガティブとポジティブ・・・。これもまた、究極の2元論。

敵か、味方か・・・、その選択肢の中で生きることは、人生の可能性を極端に矮小化させるんです。

日常的な戦闘地域に育って、銃を持たされている子どもたちなんかは、精神的にも環境的にもそういう状態に追い詰められているのかもしれないなあなんて、思ってしまうんですよね。

でも、違うでしょ。
世界は本当にいろんな彩りで輝いているのにね。
そんな彼らに、どうしたらたくさんの彩りを与えてあげられるでしょうね。

トンマンの語る「希望」という言葉は、ミシルやムンノの時代をセピア色に感じさせてしまうほど、強烈な色彩をもった言葉だと、私も思います。

> そして、いかにポジティブを維持できるかは、どれだけ愛されて生きてきたかで決まるのでは・・と感じております。

これにはおおいに同感。
ピダムだって、トンマンを知る前の世界は、ほとんど二色だったと思いますよ。
敵か味方か、自分にとって有益か無益か、ムンノに叱られるか否か。

トンマンによってもう少し振幅が広くなったとしても、最後の最後で、愛より疑いが勝ってしまったのは残念でした。
でも、トンマンは、そうなってしまうピダムさえ、受け止めていましたよね。

そうなんですよ。性急に答えを出そうとするマイナスのエネルギーを止めるには、同じエネルギーで衝突してはだめなんです。
愛を知っている方が、自滅覚悟で受け止めないと。

それが突き抜けるってことだよね・・・、って、思うんです。

トンマンが両手を広げて、ミシルの矢を受けたように。

・・・なんて・・・妄想にまた、逃げてしまいましたか。


2012/01/10(Tue) 22:37 | didi #- [Edit
善悪なんて変わるもの
didi 様 こんばんは!

まだまだ大変そうですが、ブログ世界に戻ってきてくださって嬉しいです。

>勧善懲悪
こちらは難しい問題ですよね。なにしろ「善」も「悪」も、立場次第です。
たとえば、「ユシンは善か」と考えると、ユシンは「他国の征服」をしているわけですから、「他国」の国人からすれば、「悪」以外の何者でもありません。
ドラマの中でも、ユシンは実にたくさんの人を斬っています。別にピダムより少ないわけでもないでしょう。で、斬られた人たちは、ボスの命令に従っているだけなわけです。彼らに拒否の選択はできません。彼らの家族にしてみれば、ユシンは「悪」そのものです。
恋愛に関しても、トンマンには純愛を貫いているのかもしれませんが、妻のヨンモにしてみれば、結婚後数年経ってもトンマンに「想い人」だと言っているのですから、「善」とは言い難いです。(この場合は、「誠実でない」かな?)

ドラマ(本もですが)というものは、ドラマで決めた視点に視聴者を置かせ、視聴者に「ドラマの意図と同じ善悪感覚」を持たせられたら、成功なんだと思います。で、これは、首尾一貫している必要はありません。その時々の視点と同じならいいんです。つまり「善」は変わっていきます。
(「新平家物語」など読んでいると、「平家の勃興を喜び、平家の横暴に怒り、源氏の不遇を嘆き、源氏の巻き返しに喝采を送り、平家の末路を哀れみ、義経の最期に涙してしまったりします。)

結局何が言いたいかといいますと、同じ自分でさえも、時と状況の変化によって、「善悪」が変わってしまうことがあります。それを思えば、同じ善悪観を他者と持ち得ないことは仕方がないわけです。自分自身、同じ価値観を持続する保証がないわけですから。まずは、受け入れてみるしかないのでしょう。「その意見を」ではありません。「その意見が存在することを」です。
それでも、受け入れているだけでは「何らかの結果を出さないといけない」場合は、困るわけですが、「きっと100年はかからない」とか、「上野のパンダが生きている間には」とか、自分で許せるMAXの期間をとりあえず置いてみて(法律がからむとこの期間が短かかったりしますが)、その前には解決しなくてもよし、ぐらいに思えると、楽になれるかもしれません。

うーん、ちょっと的をはずしているかな?迷いましたが、とにかくアップします。
2012/01/11(Wed) 00:22 | midorin #- [Edit
答えも正解もない世界
midorinさんこんにちは
同じようなことを考えていました。
ユシン等の戦闘場面を見るたびに、「善」「正義」って何、と思います。それぞれの国々がそれぞれの善と大義で殺し合っている。正義や善の恐ろしさは歴史を見ればよくわかります。
グローバル化において中央集権は必須であり、ヨーローッパ列強はそうして領土を広げ、原住民を殺戮していきました。
トンマンもその域を脱しているわけではないと思います。それが時代ということでしょうか。

私的アイデンティテイに徹するミシルと公的アイデンティテイに徹するトンマン、真のアイデンティテイは2重構造で構成されます。善、正義と言うのはその葛藤から生まれるのではないかと思います。1人の人間の中にあるその葛藤をへてその人の心に宿り変化、成長していくものだと思います。

希望というのは、成熟への道しるべです。その葛藤を乗り越え、突き抜けるためには視線をまだ見えない未来に向けるしかない。答えも結果もわからない世界に自分を賭けてみるしかない。

だからピダムなのかなと思う今日この頃です。
2012/01/11(Wed) 11:12 | rin #NkOZRVVI [Edit
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012/02/17(Fri) 06:15 | # [Edit
Re: 善悪なんて変わるもの
midorin様

間延びしたこの返信、届きますように、と、祈りをこめております。

勧善懲悪論なんて、ちょっとすかしてブッてみました。
反応してくださってありがとうございます。

>勧善懲悪
> こちらは難しい問題ですよね。なにしろ「善」も「悪」も、立場次第です。

・・・そうなんですよ。
立場によって色が変わる。
だからこそ、面白いんですけどね。

> たとえば、「ユシンは善か」と考えると、ユシンは「他国の征服」をしているわけですから、「他国」の国人からすれば、「悪」以外の何者でもありません。
> ドラマの中でも、ユシンは実にたくさんの人を斬っています。別にピダムより少ないわけでもないでしょう。で、斬られた人たちは、ボスの命令に従っているだけなわけです。彼らに拒否の選択はできません。彼らの家族にしてみれば、ユシンは「悪」そのものです。
> 恋愛に関しても、トンマンには純愛を貫いているのかもしれませんが、妻のヨンモにしてみれば、結婚後数年経ってもトンマンに「想い人」だと言っているのですから、「善」とは言い難いです。(この場合は、「誠実でない」かな?)

・・・って、なんだか、ユシンを悪に仕立て上げると、また、別の物語が成立するようでワクワクしますね。

> ドラマ(本もですが)というものは、ドラマで決めた視点に視聴者を置かせ、視聴者に「ドラマの意図と同じ善悪感覚」を持たせられたら、成功なんだと思います。

・・・というご意見もごもっとも。
予定調和的な世界観では、予定された結論に到達することが「善」だと思うんです。
「善い事」ということではなくて、ただ、そうなるはずの世界に導く存在が「善」と設定する。
そうすると、善徳女王におけるユシンは、三韓一統を実現した、という意味で「善」。
ただ、善徳女王というドラマが決めた視点は、「善」に到達することを単純に追及したわけではありませんでしたね。
三韓一統という予定に向かう視聴者の思い込みを利用し、それをずらすことでドラマを生んできたような気がしてなりません。
だから、トンマンやピダムは自由に揺れることができたけど、ユシンはかなり固定的な役割を果たしていた、と、そんなふうに思うんです。

> (「新平家物語」など読んでいると、「平家の勃興を喜び、平家の横暴に怒り、源氏の不遇を嘆き、源氏の巻き返しに喝采を送り、平家の末路を哀れみ、義経の最期に涙してしまったりします。)

平家と源氏なんて、立場の違いで色が変わる、という最適な例ですよね。
日本の歴史上に成立する語り文学なんて、すべてがこのテーマにつながるのかもなあ。
>
> 結局何が言いたいかといいますと、同じ自分でさえも、時と状況の変化によって、「善悪」が変わってしまうことがあります。それを思えば、同じ善悪観を他者と持ち得ないことは仕方がないわけです。自分自身、同じ価値観を持続する保証がないわけですから。まずは、受け入れてみるしかないのでしょう。「その意見を」ではありません。「その意見が存在することを」です。

このご意見、いただきました!
そうなんです。「その意見を」ではなく、「その意見を存在することを」・・・ということ。
突き抜けるとは、まさに受け入れること。
フィクションに癒される瞬間って、ここに尽きると思います。

> それでも、受け入れているだけでは「何らかの結果を出さないといけない」場合は、困るわけですが、「きっと100年はかからない」とか、「上野のパンダが生きている間には」とか、自分で許せるMAXの期間をとりあえず置いてみて(法律がからむとこの期間が短かかったりしますが)、その前には解決しなくてもよし、ぐらいに思えると、楽になれるかもしれません。

気の持ちようって、本当に大切。
なんらかの解決って、それが新たな問題の提起だったりするので。
やはり、いろんな意味での「勧善懲悪」を楽しみたいですね。
2012/02/26(Sun) 12:06 | didi #- [Edit
Re: 答えも正解もない世界
rin様

これまた、返信、随分時間がかかってしまってます。
届きますように。

> ユシン等の戦闘場面を見るたびに、「善」「正義」って何、と思います。

・・・という一文で思い出しました。
アメリカ人女性と結婚した友人の話。
私たち日本人は、憲法に第九条を掲げて戦争を否定する教育を受けていますが、アメリカ人の多くは、戦争を正義と考えている人が多い。
この根本的な違いを痛感して「本当に俺たち、愛し合えてるのか?って疑問に思うんです」・・・って。
(いや、実際は、仲のいい夫婦のまま数年がたってますけどね)
でも、ふとしたときに、地金がみえる。
その、「正義」とか「善」に関するセンスは、しみついた身体的なものであって、観念的な思想とはちょっと違うっていうんです。
それでも人は、夫婦になったり、友人になったり、仲間になったりできるわけだから、すごい生き物ですよね。

>それぞれの国々がそれぞれの善と大義で殺し合っている。正義や善の恐ろしさは歴史を見ればよくわかります。
> グローバル化において中央集権は必須であり、ヨーローッパ列強はそうして領土を広げ、原住民を殺戮していきました。
> トンマンもその域を脱しているわけではないと思います。それが時代ということでしょうか。

だからこそ、フィクションの世界では、勧善懲悪という普遍のテーマが、様々に形をかえて表現されていくんですよね。
>
> 私的アイデンティテイに徹するミシルと公的アイデンティテイに徹するトンマン、真のアイデンティテイは2重構造で構成されます。善、正義と言うのはその葛藤から生まれるのではないかと思います。1人の人間の中にあるその葛藤をへてその人の心に宿り変化、成長していくものだと思います。

なるほど。ミシルとトンマン、生きる方法も考える視点も違うわけですが、引き裂かれる個人であるという一点では共通ですよね。
その人それぞれの葛藤こそが、その人自身のアイデンティティにつながるのかもしれません。

> 希望というのは、成熟への道しるべです。その葛藤を乗り越え、突き抜けるためには視線をまだ見えない未来に向けるしかない。答えも結果もわからない世界に自分を賭けてみるしかない。
>
> だからピダムなのかなと思う今日この頃です。

・・・といいわいれてみれば、善徳女王においては、ピダムが一番ニュートラルな存在なのかも。
彼は、大義名分よりも自分に最も大切な感情のために行動する人ですものね。
「勧善懲悪」なんてブッてると、ピダムにキョトンとされてしまいそう。
これもまた、善徳女王というドラマが用意した粋な「ズレ」につながるのかなあ・・・なんて。
2012/02/26(Sun) 12:20 | didi #- [Edit
Re: didi様へ
するめの唄様

ブログ放置のワタクシを、見捨てずにコメントいただけて、ありがたいです。
本当にお久しぶりです。

> リアルな世界が大変そうなので・・・

・・・って、大丈夫です。
ブログに近況報告をアップしましたが、ほんと、大したことではなかったです。
ただ、更新を怠っていた言い訳だけ、させていただいていて。
かえって、ご心配をかけることになりました。

> 葬儀と遺産相続は本当に大変なことです。

これもね。
最初だけちょっと、感情論に流されそうになりましたが。
すぐに単純な法的手続きに切り替えることができました。
(あとは弁護士さんの仕事となりました)
遺されたものは全部、弁護士さんに料金として渡して終わり、という実にすっきりした結論。
何ものこらないことで、かえってせいせいした次第です。

> (楽しい癒し系、ナム萌え専門ブログを目指しているので、内緒です(笑))

おお、それは素敵ですね。
私もそろそろ、ブログめぐりが恋しくなったところ。
癒されにうかがいますね。

> この記事は、前に読んだのですが、検めて読んで、didi様が善徳をすごく理解して愛しているのが伝わって嬉しくなりました。
>
> 私は善徳中毒が今だに収まらず、他のドラマを観てもつまんないです(爆)
> ナムさん萌えは絶好調ですが(笑)

善徳、愛してますよお。でも、あまり一途ではないです。
ブログはちょっと仕切り直しが必要なのですが、善徳関係の皆様のところへは、今後も通わせていただきます。
どうぞ、今後ともよろしく。

> 実は、私がブログを始めようと思ったきっかけ、勢いをくれたのは、didi様なんです。
> 緋翠様とdidi様のやりとりに夢中になって、二人の記事を読みながら、何故ピダムを好きなのか自分探しをしていました。
> didi様の明るい姉御肌な文章を読むと、元気になって、自分もブログをやってみたい気持ちになりました。

こりゃ、びっくり。
そうだったんですか?
いいかげんに書き飛ばすことばかりだったのに、ありがたいお言葉です。

> 勢いで始めたブログでしたが、暗中模索の中、テヤン様という、これまた明るい姉御肌な方が常駐してくれて、なんとかなっています(笑)
>
> 昨年の秋、didi様がテヤン様の反論コメントに助太刀コメントをしたことが忘れられません。
> 明るい二人が交流するとどうなるのかなぁと思いましたが、テヤン様は考察が苦手な感性メインの文系なので、考察はNGらしいです(笑)

またまた、楽しみなお仲間が増えそうですね。
ワタクシも早速訪問させていただこうかな。

> いろいろと大変そうですが、落ち着きましたら、didi様の人柄が滲み出る、明るい文章をまた読ませて下さい。
うしっ!がんばりまっしょい!!!
2012/02/26(Sun) 12:31 | didi #- [Edit

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